排除若しくは,思考の外,あるいは視界の外におかれて(おかれようと)している人たちへの共感に欠けている僕ら

 多分,そう。
 すると,想像力か。

 仮に,共感や心が揺さぶられることがあったとして,現実にとりうる手段が自分の日常とあまりにもかけ離れてしまっているが故に,無理解や無関心でいることでしか心の平静を保てないということがありやしないか。

 共感の連続だと魂が持たないもんな。
 何かしらの善行を自分に課そうとしても相手は無限の他者であり,同時に複数もの共感を連続することができない。だから,きっと,「一日一善」を掲げるのだろうな。



 と,こんなことを思った。