少し,書き続けてみた


 月に4〜5日を休む(結局,週一のペースか)割合で,この10か月間と半月,ここで書き続けてみた。書き続けた当初の頃については,ほとんど思い出せない。書くことが面倒だとか,動機づけをどうするかだとかに悩んだことは恐らくなかったのではないだろうか。エントリーにそんなことを書いてあったとすれば,謝る。ただ,新年あらたまって,(1年に満たないわけだが)書き続けたことをネタにしてみたい。
 ブログ(とここを胸を張って呼べるほどの場所じゃないことはわかっている)を書く上で,自分なりのルールやブログ観が無いと書けないのではないかと思う。実際,私もそれを手応えを伴った実感があって,はじめて書き続けることができている。それらは人それぞれだと思うし,どんなものだっていいのだけれど,もし,私より優秀なみなさんがブログを書かれることを逡巡されている理由が,こんなところにありやしないか,とも思う。私はまださらにブログ界隈は豊穣な世界になっていけることを信じている側の人間なので,役に立つとまでは言わないが,こんなことを思って書いているヤツがいるんだと思ってもらえれば,年始に当たっての望外の喜びである。
 以下,私なりのルールやブログ観ってやつ。


1自分なりの引っかかりや発見を書く。
 ニュースを元にしたエントリーであっても,世間的に話題になっていたもそれを受けて起こる感情しか無い中でエントリーを書いても他人様と同じか,ニュースそのものコピーとなってしまう。そうであれば,どんな小さなことや身近なこと,自分が思い出した何かでも構わないから,今日,引っかかったアレやコレの気になること,その気になっているという自分なりの視点を書いてしまえばいい。また,今日,気がついたアレやコレという「発見」をエントリーに書くことも大事だ。もちろん,しょうもないことを書く日もある。それでいいのではないか。書いておきたいことを書くというのも大事な点だと思うし。


2自分の責任を負える範囲で書く。
 市井の市民である−このことは強く意識している。もちろん,私だって世間様全般に対し,臆面もなく偉そうなことはさんざん吐いているし、その方が多いかもしれない。ただし,「私」として書いている。文責:私,である。自分の後ろには誰もいない。ここに書いてあることに関する責めは全て私が負うし,誰にも擦り付けない。企業や団体,グループで書くのであれば別だが(それにしたって,書き手の個人が浮かびあがるものだが),個人であり,一市民の言論として書く。まぁ,いちいち,こう肩の凝るようなことを考えてから書き出すわけではないが,意識はしておいた方がいいのではないか。ネタ選び,書きっぷり(特にオチね)が変わってくると思う。


3何でも書きたい,突っ込んだことを書きたいを使い分ける。
 誰しも突っ込んだことは書きたいし,日々書かなきゃあかん,とも思う。どうしたらいいんじゃい。まったく別人格でやり通せるとも思わんし,嗚呼。今から思えば,しょうもないところで手が止まっていたわけだが,私は,モギケン方式を採用することで一気に道が開けた(モギケン!ありがとう)。
 モギケンは,主に次のようにサイトを使い分けている。


 茂木健一郎 クオリア日記
  ├茂木健一郎 プロフェッショナル日記
  └the qualia journal
 茂木健一郎の「超一流の仕事脳」 (茂木健一郎の「超一流の仕事脳」):NBonline(日経ビジネス オンライン)


私は,このクオリア日記,及びクオリア日記に単にタイトルとリンクだけを貼ってプロフェッショナル日記を見よ,とするスタイルに,そうか!この手があったか,と思った。こうすることで,自分が関わる特定のテーマのブログと日々のブログの使い分けができるし,また,共存や関係性も持つことができる。この当たりは,SNSと使い分けをしている方が多いのかも知れないし,それでいいのかもしれないと思うが,SNSはよくわからない。


 もちろん,目標達成型ブログ,期間限定ブログというのもあるであろう。その方が目標が明確になって書きやすいのかもしれない。では,お前がブログを書く理由とは何なのか?と問われれば,以前は書くことや書き続けるとが目標なのかも,とぼんやりとしたことを思っていたが,今は,ネットの側を信じるために書いていると言おう。
 リアルはリアルであるが,ネットの側から道を開くためにブログを書く。今年をそれを一つでもカタチにしていきたい。