高齢者という人はいないのだろうけど


 「高齢者」が集ってのイベントへ行った。そこで感じたことをメモしておこう。
 ひとつめは,「気難しさを降りることの大切さ」である。とりわけ男性についてだ。女性の社交性がますます発揮されるのが,高齢者の世界であり,それは健康維持や平均寿命だったりするわけだが,現役時代のヒエラルキーによって維持された世界の構成員であった男性にはフラットな社会,場合によっては指揮命令系統がグダグダな世界というのは耐え難いものの一つとしてあるだろう。また,年寄りは焦る。ふだんから老い先が短いことを意識しているわけではあるまい。引退したことで精神のたがが外れて地が出てしまい,無邪気な欲求をしてしまうことに由来するのだろう。ワクワクしてしまうがゆえ,でもあり,「ねーねー,はやくー」でもある。
 もうひとつは,「本当の高齢社会というものは,元気な高齢者という新しい人たちが登場するということ」である。高齢者の旧来のイメージとは,弱く,暗く,元気の無い姿の人たちでは無いだろうか。自分自身の高齢時の姿なぞ想像すらつかないが,いまの高齢者の元気な姿には目を見張る。先日,私の母親と話していたとき,「●●さんはまだ70かい,若いねー」などと言い出す。私は反射的に「あんたらは,何歳まで生きるつもりなんだ?」と聞いた。冗談めかしていったので,決して悪態をついたわけでもないし,揶揄でもない。70で若いと言われりゃ,いい年とはいくつのことだ?と思ったまでのことで,実際,そう言わせるほどに「若い」のだ。もう旧来の年寄り観は通用しなくなりつつある。
 たまたま,私は元気な年寄りを見ているだけなのだろうが,個別に年寄りをみれば,年寄り間の隔たりの大きさとともに,年寄りや高齢者などと一括りにする事自体が間違っているのだろう。こう考えると,この先に考えることの多さにも気付かされる。