明日の天気は曇りになるでしょう,たぶん,おそらく,きっと。


 先日,天気予報を耳にした時,ふと「ああ,こいつらの言い切りは身を滅ぼすよな」と思った。ラジオだけではなく,テレビだともっと多数の人間に対し,未来を言い切る。「明日の●●地方は曇りになるでしょう」と。たぶん,でも,おそらく,でもないのだ。「こうなるでしょう」と。
 経済評論家は,まだいい。どうせ,こいつらは,の目線で見てもらえる。経済とは,わからないもの,予測のつかないもの,との共通認識基盤がある。だが,天気は,本来,人為の及ばない自然なのだが,予測のつくもの,データによって導きだされるものとしての認識のほうが一般化してしまっている。仮に外れたとしても,視聴者の記憶違い,もしくは僅かな時間と場所のずれ,として理解されてしまう。
 だが,そもそも,自然のものであり,100%予測可能ではない。微気候だけではなく,台風や突発の竜巻だけでなく,わずかな確率の雨が降ることだってある。なのに,気象予報士の仕事とは,言い切ってしまうことだ。これは魂に悪い。手元にある情報を勘案すると,明日はこれまでの傾向からして,おそらく,曇りになる,とは言えない。しかし,正直に話そうとすれば,いや,自分の仕事に忠実であろうとすれば,もっと言おう,科学的であろうとすれば,「おそらく」と言わなくてはならない。科学的に分析した結果を良心にもとづいて人に伝えることを仕事にしているならば。
 因果な商売だ,と思うし,体,いや,魂を蝕む。こんなこと思うのは,私だけか。