需要がそこにあるのではない。われわれがそこに需要をつくりだすのだ。


 Koshianさんが,バンコクでの暮らしを通じて次のとおり書かれている。

 こちらに来てすぐ感じたのは、「贅沢してるやつら」が可視化されてるなあということだった。外国人ばかりのバーの前で安い屋台の飯を食う現地人がいたりとかな。俺はまだ行ってないのだが、映画館も追加料金でいいシートの席が取れたりするそうだ。場所にもよるが、スーパーに運転手つきの車で買い物に来てる人とかもいたりするし、そもそも金持ちしかこれなさそうなデパートなんかもあるわけだ。

 さてひるがえって日本を思い起こすと、そういうシーンがとても少ない。せいぜいJRのグリーン車くらいのもので、500円程度の追加料金で比較的ゆったりとした指定席に座れる。あれは俺もよく利用した。疲れてるときなどとてもありがたい。


見えない贅沢は想像できない - 狐の王国


 なるほど,私も「小学生に食べたことのないものは注文できない」と,いつも思っているので同意したい。小学生に何を食べたいと聞いたところで,いつも寿司,ラーメン,カレーライスなのは彼らの美味しいもののリテラシーがその程度だからであり,食べたことのない高級フレンチ・メニューを口走ることはないからだ。
 「需要がそこにあるのではない。われわれがそこに需要をつくりだすのだ」とは,本田宗一郎さんの言葉だ。彼はこう言う「私はつねに需要は,アイデアと生産手段によってつくりだすものと考えている」。需要が少ない,供給過多と言われ続けてどのくらい年数が経ったことだろう。本田宗一郎さんのセリフを借りれば,アイデアと生産手段が不足し続け生産過剰になっているのではないか。
 手に届く「贅沢」を実現させてみせてこそ,需要が生み出すことにつながるのだろう。創造力不足の石頭だらけの我々なのだ。