開票事務をしてきたよ。


 昨晩,すでに当確を打ち始めてニュースを横目に見ながら,開票所へ自転車をこいだ。すでに日中の気温が下がったものの湿気が漂うなかを急いだ。深夜の暗さではなかったが,それでも十分に夜の闇を自転車のヘッドライトが照らしていた。
 会場の体育館には,投票所からタクシーでやってくる立会人が,スーツ姿を見せていた。真夏の選挙に「ちゃんとした」格好でこなすのだ。じいさんたちは,やはり偉い。体育館のなかへ急ぐ。こういうオフィシャルな催しにおくれるのはばつが悪過ぎる。十分にはやく到着していても,変な焦りが背中を押す。上履きを入れたビニール袋の口が固く縛ってしまっていて,玄関でもたついてしまう。なにをあわててんだか,俺。
 同じ班の連中がそろい,定刻とともに会場へ。見あげると観客席に報道陣が囲んでいる。知っている記者もいる。みんな駆り出されているようだ。事務長やら偉い人やらの話が終わって作業開始となる。ヨーイ,ドンで始まるのが「開披」。投票箱から投票用紙を取り出して並べることなのだけど,選挙事務には,ときどき,こうした普段使い慣れない単語が出てくる。「選挙」がはじまったときにできた言葉なのだろうね。
 開披は全員作業なので,これにある程度目処がついたところで,うちの班の持ち場へ移動する。私は,疑問票審査係。その中でも,有効票審査班が我々。OCRで,正確に読み取れなかったものが送られてくる。達筆過ぎる字,ふりがなまで書いてある字。枠から思いっきりはみ出した字。なぜか一文字だけ書き忘れた字などなど。いろんな投票用紙が送られてくる。中でも,選挙区に候補者を立てていない政党の候補者名を,選挙区の用紙に書いてある例が結構ある。これの多さには少々,驚いた。
 投票用紙には,わざわざ,投票所まで足を運んで,鉛筆を進ませた以上,それぞれに思いが詰まっている。どうしても,ここで主張してしまいたい,その思いはわかるが,それ故に残念だと思ったことをあげておきたい。一つ目,「該当者なし」と書くこと。あなたにとって十分な候補者はいないのだろうけど,より程度のましな方を数少ない中から「あえて」選ぶことが選挙だ。相対的にあなたの立派さはわかるけど,もったいないよ。だって,ただの無効票になっちゃうんだよ。他のメッセージを書かれる方も同様です。二つ目,どうしても,似た名前があるならしょうがないけど,候補者の名字と名前を合体させて,書いてしまう方。二人の候補者に票を按分してもらいたいのかもしれないけど,そんなことにはならないからさ,選んだ一人の名前を慌てず,ゆっくり書いてね。三つ目,字はキレイに。小学校のときに,あれほど先生に,字はていねいにハッキリと!と言われたことを思いだす。よめりゃあイイ。確かにそう。判読できれば。でもね,判読に時間を書けさせてしまうことは,それだけ,社会コストの増大を招いているんだ。上手い下手じゃない。即座に読み伝えられること。字って,そういうもんだよね。
 報道陣が構えていた観客席は,大勢が判明してしまうとほとんど人がいなくなった。テレビの選挙特番をザッピングしながら見るのは,興奮する時間だけど,ワンセグや携帯ラジオを持って,開票所で傍聴するのをお勧めしたい。ここでの作業を眺めるのは,それこそ,民主主義の現場立会いだ。票が流れて確定していく様子を実感できるし,スタッフの動きを見ているのもいいだろう。また,報道陣の様子を観察するのも面白いかもしれない。
 投票率が以前よりも高まって選挙の入口への関心が高くなったのだろうが,それだけではなく,出口への関心を持つために,一般に開放されている開票所には,ぜひ,一度,足を運ばれることを期待する。どうぞ,開票所へ。