「オマエは既に負けている」と米倉誠一郎は,言っている。


 今月17日の朝日新聞のインタビュー記事より。
 一橋大学イノベーション研究センター教授・米倉誠一郎さんが,巷にあふれる強いリーダー(シップ)の希求に棹さしている。

強いリーダー,カリスマのようなリーダーを待望するのは敗北主義。学生たちにもそう言っています


朝日新聞デジタル:米倉誠一郎さんに聞く リーダー待望論に待った - ニュース


 敗北主義。そう,負けているのだ,という宣告である。自分や周囲の問題やテレビに溢れる話題に勝手なため息をつき,過去の人物を持ち出したり,抜群の活躍を続ける著名人の名を出して,あんな人がやってくれたら…,と言うだけで,あなたは米倉誠一郎さんに「オマエはすでに負けている」と言われたことになる。

誰か立派な人が現れて,任せてしまえれば簡単でしょ。情報を集めたり判断したりしなくていい。ついていけばいいわけですから


朝日新聞デジタル:米倉誠一郎さんに聞く リーダー待望論に待った - ニュース


そうなのだ。つまり,楽チンになりたいのだ。テキトーにツマンねー,オモシロくねーとブーたれて言っていりゃあいいのだから。
 リングに立たない。火中の栗を拾わない。そんな現状に対して,米倉先生は,

僕は学生たちに,素晴らしいリーダーが出てきたらうまくいくなどと考えてはいけない,と言っています。ない物はいくらねだってもないんだから,変えるためには自分たちで立ち上がろうよ,と


朝日新聞デジタル:米倉誠一郎さんに聞く リーダー待望論に待った - ニュース


確かに,潰れた会社を見事,蘇らせるような素晴らしい人物が颯爽と登場してくれたら,夢のような毎日へとガラッと変えてくれるのではと夢見てしまうだろう。だが,そんなヒーローやヒロインはいないのだ。仮に,そんなヒーローやヒロインのごとく振る舞うように喧伝される者がいたとするならば,その情報自体を疑う目を持つ必要があるだろう。
 自分(たち)が抱える社会のモヤモヤをスッキリさせてくれる「誰か」の登場願望なんかより,「そんなこと言ってる暇があったら,オマエが頑張れ」。「負け」てしまわぬために。