あるケータイの風景 旧・Column Kazuhiro 2000

 比較的,人数の多い職場での話である。
 そこで働く者にとって,そのフロアの見渡しの効く範囲が,彼にとっての「公」を意識する空間となる。つまり,フロアを仕切る壁の向こう側には,この内向きの「公」意識が及ばない。
 ケータイが鳴る。相手を知らせる液晶は,プライベートな電話であることを知らせている。彼はあわてて,席を立ち壁の向こう側でスマイルとともにヒソヒソと話を始める。話の終りとともにバツの悪そうな空気を背負った彼が席に着く。ここで彼は壁を抜けることで「公」を意識することなくケータイに没頭できる空間に自らを置いたわけだ。しかし,その職場を一単位としたときの「公」とは,その壁の表面からのすべの外側のことである。慣れて境界が溶け合った個がつくる内輪意識が,「公」と勘違いさせるのだが,それはプライベートの拡大であり「つっかけ」を履いて壁の内外を問わず闊歩する意識そのものなのだ。
 唯一神を持たないために絶対他者を意識できないからなのかも知れない。
EXTENDED BODY: