「アドルフに告ぐ」を贈ってみた


 ハイティーンの誕生日となった彼に,マンガの「アドルフに告ぐ」を贈った。
 この本にはザラっとした決して肌触りの良くない思い出がある。この本が出たのは,私も同じハイティーンだった頃,ウダウダと何をするでもなく時間を過ごしていた頃,私の家の裏に住む同級生の友人が私に薦めたものだった。もっとも,彼の家の方が大きく,裏というのは私の家の方がふさわしかった。
 その頃,すでに手塚治虫は,巨匠のポジションにあって大作を出すと世間がにぎやかになるという扱いで,決して流行作家や売れっ子のそれではなかった。そんな手塚治虫の小難しい重たいマンガには興味が持てずにいたし,興味も無かった。もちろん,古臭いとも思っていた。
 ハードカバーの「アドルフに告ぐ」全巻を渡され,読んだ。やけに時間がかかった記憶がある。じっくりと読んだのかもしれないし,実際に読んだ時間が短かったはずが読後の気分の重さに記憶が怪しくなっているのかもしれない。
 私の友人は,この本について何も語らなかった。ただ,読むべきだ,と言った。私の感想も同じだ。読むべきだ。20世紀に生まれ,生きたものは,結局のところ,あの戦争から逃れられえない。だとするならば,理解しておく一線があり,その一線としての「アドルフに告ぐ」なのだ。
 このマンガを返した後も,友人とはこのマンガについて何か感想を語ったりもしていない。せいぜい「スゴいな」ぐらいだろうか。言葉に出さずともこのマンガの重さは十代の僕らに同じようにのしかかったのを,互いに理解していたのだと思う。

 今回,「アドルフに告ぐ」を贈った彼は猛烈な勢いで読んだ。吸い付くようにして読んだ。それでイイと思う。特に内容について話はしない。キミも20世紀の生き残りだ。その読む姿を見せてくれただけで私は満足だ。


 彼が読み終わった後,1巻を手に取った。途中でページが重たくて本を閉じた。
 もちろん内容も重たいのだ。


 私には,このマンガを薦めてくれた友人がC型肝炎で世を去っていることが思い出され,なお更に重いのだ。



アドルフに告ぐ(1) (手塚治虫漫画全集)

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