「イイ,ワルい」より,「スキだ,イヤだ」の効能


 相田みつをを借りれば,「にんげんだもの」となろうか。
 「イイ,ワルい」とは価値判断である。「正しい」か「誤り」に通じる。これは危ない。「絶対」がつきまとうからである。凡人に「絶対」は使いこなせない。そういう自覚が必要だ。「絶対」にこれが「正しい」。とは,日本中でこのフレーズのトラフィックは膨大な数となっているはずだが,そんなもの大半が「絶対」じゃない。凡人は真理を学ぶときに「絶対」を思えばイイ。2+3は,必ず5だ,とね。
 なぜ,あなたはそれを選んだ,のか?と問われたとする。「これがイイと思ったから」と答えると,「どう,いいのか?他と比べてどの程度,なにが良いのか?」を明らかにせよ,と言われてしまう。答えに窮すると,本当にいいと思ったか?とすら聞かれて右往左往してししまう羽目になる。ややもすると,反論されたり,他の案を提示されたりもする。
 では,「スキだ」と答えていたらどうなっていただろう。「スキだ,イヤだ」は理屈ではない。もちろん,数値化もできない。となると反対する論を立てることもできないし,理由について述べる必要も無い。せいぜい,「どこがスキなのか?」と聞かれる程度である。それであれば,「ここがスキ,あそこがスキ」と言えばいいのだ。なんの心配もいらない。
 では,以上の話を例題にしてみよう。


A) あなたはなぜ,Macを使うのですか?
B) Macがイイからです。


沈没である。Mac が必ずしもイイわけでもないのに,「イイ」ことになってしまう。下手すりゃ,「絶対」にイイことになる。これはマズいのだ。では,コレを一部替えてみる。


A) あなたはなぜ,Macを使うのですか?
B) Macがスキだからです。


こう答えると,Macの良さ,拙さなんてカンケーない。むしろ,この人はスキなんだからしょうがない,と早々に理解を得られてしまう。これは「イヤだ」の場合でも同様である。「スキだ,イヤだ」は理屈ではなく,感情だからだ。理屈や「筋」は納得がいかなければ話にならない分,かえってややこやしい。それよりも感情のほうがよほど,共感を得られてしまう。
 人間なんだから,対人関係なのだから,共感のほうがよほど大事なのだ。