おくりびとの補助をした


 伯母の葬儀に行ってきた。もう,ずいぶんと話しをしていなかった。伯母は老人性痴呆症を発症しており,聞けば,15年もこの病を患っての療養生活だったとのこと。そうか,そうだよな,と思う。
 親戚一同が集まる席(それって,結婚式か葬式くらいなのだけど)に,何かが,誰かが欠けている違和感が,ずっと,あった。今回,それに,ようやく思い至った。伯母が,その伯母の私に語りかけるであろう言葉が,見当たらなかったのだ。気づくの,遅すぎだ,オレ。
 穏やかでやさしく包み込むような存在の伯母。まさに,ザ・お母さんであり,私には特別な存在である「理由」があった。

 私はなぜか,実家より祖母の家や親戚の叔母の家が馴染み,落ち着いた。もちろん,父親によく怒られたので,おもしろくない思いを少年期にしていたこともあるのだが,実家でくつろいだり,なごんだりすることがどうにも(いまだに)苦手で,むしろ,祖母宅や親戚宅で落ち着く。

 それの理由がああ,これか,と。生後1年のいろんな刷り込みが終わる頃,私は家におらず,祖母宅や親戚宅に預けられていたのだ,と聞いた。私のいくつかの欠落にようやく思いあたった。

 母親にとって私は,年が若くして生んだ子でなのだが,母に対しては「母親」という感じが薄く,特に親戚の叔母さんといっしょにお風呂に入った小学生の頃は,「お母さん」的な温もりのような何かを感じたし,小中学生の頃,街に出かけた後に必ず,祖母の家に寄りぐだーっとくつろいだ。そんなことも思い出した。


「孝」なんだろうけど,これが正解なんでしょうね。 - ウチダカズヒロ ブログ


以前,エントリに書いたこの伯母が,今回亡くなったのだ。まさに「お母さん」的な温もりのような何かを感じていた,その伯母だ。


 お悔やみに向かい亡骸と対面した際,痩せ細り,もはや伯母を思い起こすのも困難なほどだった。いたましいな,とだけ思う程度。それが,納棺師さんがやってきて,湯灌・納棺の作業が,手際よく,あの映画のように進んでいく。すごい仕事だなぁ,とただただ感心しながら見ていると,「どなたか男性の方,お二人手伝ってください」との声。たまたま,いちばん,手前にいた私と従兄弟が向かう。ものすごく,戸惑った。え,オレでいいの?と。でもグズグズしてみっともないのは嫌なので,すぐ動く。すると,伯母を布団から空気で膨らませたシャワーに運ぶお手伝い。しかも,私への指示は,伯母の頭部を支えること。上手くやれるんだろうか,こわいな,ちゃんとやらなきゃ,と思った。きっと,わずかな秒数のことだったと思う。でも,肌に触れた感じは忘れないほど,強く印象に残った。小さな役目としての伯母の体を移動させる手伝いを何度か行って,無事,終えた。その後,顔を整え,お化粧を少しだけすると,細くなってはいても,伯母の印象を戻していた。本当に感心した。大変な,プロの仕事だとつくづく思った。それを眼前で見た。


 伯母は,もういない。ずっと,話しをしたいと思っていた「ホームポジション」の伯母は,ずっと以前から返事は返ってこなかったわけだが,亡くなって,完全に存在を失って,私の中の伯母と語りあえばいいのだ,と今更ながらに気づかされた。伯母がいなくなったんじゃない。オバさんなら,どう言うだろうと考えること,そこに伯母が存在するのだ。そうしたことに思い至らなかった。伯母と話しをせずにいた,このちょっと長過ぎた時間にあった出来事を伯母に伝えよう。
 オバさん,あのさぁ…。