読書感想文「ヘルシンキ 生活の練習」朴 沙羅 (著)

 朴沙羅は,知っている。実は,全ては金(を稼ぐスキル)だ,と。
 生い立ちの複雑さ,文化資本の重要性も含め,彼女の語ることは彼女自身に固有のものだ。だが,これを読む読者はキラキラした「子育てライフ in 北欧」を思い描くだろう。フィンランド社会の中での手続きや制度,隣人を含めた周囲との交渉や契約など,朴沙羅がこなしてきたタスクの数々をスルーして。
 だからこそ,リスク承知のチャレンジだとしても,稼ぐことができる存在としての朴沙羅だからこそ,公平性・公正性・透明性の高いフィンランドの自由な市民社会の空気を享受できているのだ。そのことの問いかけは実は重いし,読者は自分のことはさておき,北欧社会への憧れを口にするだろう。
 日本社会がなぜ変わらないのか,は愚問だ。「自分のことはさてお」いて,世の中の問題を直視することを避け,とりあえず小利口に面倒を避けて,当事者に負担を押し付けながら世間の中で泳ぐ。そうしたライフハックを使いこなし生きることを正解としているんだもん。変わんないよ。小利口なだけの無責任なやる気なしのバカを再生産してはいけない。わかったふうなことを言うだけで何もしない連中の存在が彼我の差だ。当事者性と言ってもいい。
 稼げる朴沙羅が照らした光で,わが国を考える材料だ。